エウレカ/蟲師/びんちょう

エウレカセブン47話。精神世界で謎解き編。融合しか交渉手段を持たない惑星規模生命体…とまあ、エヴァと言わずとも「それなんてソラリス?」って話をするまぼろし姉さん。融合以外に方法は無い、と言われるも「俺が何とかして見せる!」と返すレントンの頭には、エウレカの姿が浮かんでいたのだろう。


…ま、それはそれでヨロシ。しかし、この話を見てまず感じたのは「あー、全部台詞でカタつけちゃったなあ」ってことでしたな。ぐだぐだ理屈をこねくり回す小説は割と好きだが、ことアニメで中途半端にやられると、やっぱし「ケッ、青臭せ」って印象が先に立つな。押井くらい突き抜けてくれるとワクワクもするんだけどねえ。


確かに、姉は常に影でレントンは陽の中ちうレイアウトとか、レントンが異議を唱えた瞬間から姉の目にハイライトが入るとか、そういうあからさまな演出効果は楽しかったんだけどね。…さて、残り3話でガァっといって欲しいなあ。


蟲師20話。地上波最終回、さあさこっから先はカネ払っておくれいナ、というフジ商法ですか。まァ半ば香具師だよな。個人的にはあんましこういうのが横行して欲しくはないが…。


さて。己が体内に禁種の蟲を宿しつつ、蟲師の情報を記述しつづける一族。それは言わば、蟲という存在の殺戮の記録でもある。その当主とギンコの微妙かつ緩やかな関係が温かい。封印を解かれた蟲たちが、文字の奔流となって溢れ出てくる描写がコワ楽しかったが、えーと、動き出す文字ってのは1話の再帰でもあるのかな。


監督自らのコンテ・演出とあって、実にソリッドな画面作りが印象に残る。地下書庫でのギンコと当主娘の会話シーンとか、間の取り方が凄く美しかった。うーむ、確かに一応の区切りとしては納得のゆく回ではありましたね。


「蟲愛ずる姫君」な当主に小林愛、そのお目付けに京田尚子。いずれもこの世界観にがっちりマッチ。…あと、ラストの原作者サーヴィス一枚絵が眼福! アレ欲しい!


総評。いやはや、TVアニメとしては相当な質の高さの作品でしたねえ。そしてその方向性や質感表現に惑いが無い。一貫して「奇譚」としてのマジックリアリズムを失わなかったその語り口にも、ワタシャ大きな好感を持ちました。


…あとやっぱ、ギンコ役の中野裕斗だよなあ。ぜんぜん知らない人だったけど、この人を引っ張ってきたってのは勝利への大きな一歩だったと思う。ギンコの真摯かつ気楽なキャラは、この人の声のおかげで実体を持ったって感じでした。


びんちょうタン3・4話…って表記でいいのかな。よく判らん。他のキャラも色々登場。女性陣もさりながら、おっさん声優の充実ぶりに少々戦慄を覚えた。西村知道緒方賢一


二人出てきた炭キャラ嬢ちゃん。びんちょうさんは人外キャラのようだが、この子たちも伸びたり縮んだりする妖精もどきなのかなあ。世界観のディテイルが妙な所で細かいので、ヘンなとこが気になる。


3話はなんか知らんが、際立って丁寧な作画だったような気がした。ズラリ並んだ女中さん(メイドよりはこう呼びたいね)に落ちる馬車の影とか、ちくタンが頭陀袋を開けるシーンとか。そういやちくタンの発明志向はアレか、エジソン電球の竹フィラメントからか?

あがったママだよ舞台の母ちゃん

●先輩の人から「エスカレータが止まってみんなすっ転ぶ様子をパラパラマンガで描け」とお題があった。が、ちょっと描いてみてぜんぜん上手くいかないのでとりあえず止めました。軽い気持ちで。


代わりに、以前描いたままほっぽらかしてたさかさま文字でお茶を濁してみます。ESCALATOR、ってとこでどないでしょ。


●まめちしきー(エスカレータで大阪つながり)。エスカレータという言葉は、エスカレートという言葉よりも古い。


まず最初に自動で上り下りする階段ができて、これの名前を「エスカレータ」と造語したと。んで、エスカレータのようにだんだん様相が変わることを「エスカレート」という動詞で表すようになったワケです。いわゆる「逆成」ってヤツですな。(検索したら異説もアリ)


ちなみにエレベータはフツーに「エレベート」という言葉から作られております。ちなみのちなみに、エレベータにもエスカレータにも本来「上のほうに行く」意味しかありません。よって「下りエレベータ」ってのは重大な論理矛盾であり自家撞着であって下りは階段を使うべし! しかし階段:stairの原義も登ることであって、ああどうしよう二階から降りられません!